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9月30日 ~STAGE 1~

 ~STAGE 1 Cairo-Baharija 
                           総走行距離 372.16km SS 316.04km~

 いよいよラリーのスタートです。

 パルクフェルメ         スタート前の準備

 ホテルで朝食後、ランチパックと水を受け取り、パルクフェルメに停まっているプラドの元へ向かいました。この1年間、ラリーのスタート台に立ち、そして選手としてラリー参戦することを常に頭の中に描いてきましたが、いよいよそれが現実のものとして動き始める事を、実感しました。これから始まるプラドとの、7日間の未知との遭遇に、心踊りそうになりながらも、必死にそれを抑えている自分がいました。“油断すると早期リタイアするよ”と。

 スタート前ピラミッドへ向かう途中

 そんな思いを胸にホテルを出発し、約10km離れたラリースタート地点となる、ギザのピラミッド前に向かいました。スタート地点のポディウムまでは、ピラミッド横の小道を通っていきます。真横には、車内からは見上げきれないほどの高さのピラミッドがそびえています。本当は車を止めて、ゆっくりとピラミッドを眺めていたい気分でしたが、私達はラリーのスタート台に立たなければなりません。よって、ピラミッドを見たい気持ちを抑えつつ、スタート地点へと向かいました。

 スタート前に他の競技車両と

 スタート地点では、既に2輪のスタートが始まっており、ポディウムの周囲は沢山のカメラマンやスタートを待つ選手達で賑わっていました。

 私達もピラミッドの前に車を停め、チームスタッフと写真を撮りながらスタートの時を待ちました。

 ジャッキーイクス氏と       スタート前にピラミッドと
 
 周囲を見渡すと、四輪車両の周りにはカメラマンの人だかりができ、どの選手も写真撮影の対応に、忙しそうにしていました。レーシングスーツに身を包んだ選手達は、皆ヒーローの様に見えました。そしていつしか気付くと私達も、沢山のカメラマンに声を掛けられ、その撮影に応じるようになっていました。

 彼等は、事前にエントリーリストを見た際に、日本から女性ドライバーが参戦するとのことで、会うのを楽しみにしていた、とのことでした。プラドの前で沢山のカメラマンに囲まれた私は、またある種ヒーローになった気分になり、ファラオラリーのスタート台に立てる幸せを実感していました。

 スタートを待つ競技車両

 暫く写真撮影に忙しくしていると、あっという間にスタートの時が近付いてきました。

 先程までの喜びから一転、車内は緊張モードに包まれていきました。前の車両がポディウムからスタートし、いよいよ自分達の順番です。私はゆっくりとアクセルを吹かし、急斜面のポディウムの上へ、上りました。

 スタート台

 眼前には、沢山のカメラマンの姿が見えました。そうしているうちに、刻一刻とスタート時刻が近付いてきました。

 競技スタートは2分毎ですので、前のゼッケン番号の車両がスタートをしてから、ポディウムに上がることになります。

 スタート2分前になり、私はゆっくりとポディウムの上へ上がりました。

 1分前…。

 30秒前…20秒前…。

 運転席側に出されたオフィシャルの手が、5・4・3・2・1…と、カウントダウンされていき、遂に彼の手が振り上げられました。

 いよいよラリーのスタートです。

 この1年間、準備を通して様々な困難がありましたが、遂にそれらを全て乗り越えて、ラリーのスタートを切ることが出来ました。

 私はゆっくりとポディウムを下り、リエゾンの道を進み始めました。リエゾンは56kmあり、カイロの市街地を抜けて、南西へと向かいました。SSスタート地点へ向かう際には、昨年先生に教えて頂いたオンロード走行の仕方を実践しつつ、丁寧にアクセルを踏んでいきました。また、つい数十分前にポディウムを下りたことを思い出すと同時に、日本にいる、お世話になった方々のことを思い出し、感謝の気持ちでアクセルを踏み続けました。

 スタート直後

 SSスタート地点に着くと既に前走車が到着しており、各々タイヤの空気圧を調整したりしながらSSスタートを待っていました。私も、昨年レイドクラスで学んだことを思い出しながら、適切な空気圧へと調整をしました。

 そして、遂にSSスタートの時が訪れました。

 本当に、私が国際ラリーデビューをした瞬間です。

 スタート地点は、少し柔らかい砂の盛り上がりがありましたので、そこでスタックをすると恥ずかしいと思い、“スタックしないで~”の思いと共に、アクセルを踏みました。

 スタートから最初の100kmは、土漠の連続です。時にちょっとした凹凸はありますが、殆ど何もない大地ですので、路面の変化に気を付けながらも、アクセルをほぼ全開にして進みました。

 途中33km地点では、初めての砂丘越えがありました。私はプラドでの砂丘越えは初めてですので、“登ってくれるかな?”の不安の下、アクセルを踏みました。

 結果は、難なくラクラク越えてくれました。プラドの砂漠でのポテンシャルが分かり、少し安心もしました。

 その後は再び土漠が続きました。途中CP3通過直後、私達が向かうべき方向に迷い立ち往生していますと、その瞬間に、私よりも16分遅れでスタートをした後続車に、一気に抜かれていきました。

 私はすかさずその車の後を追いました。

 ところが、その車の後を付けていますと、どうも私のアクセルは本調子ではありません。少しの間、起伏の激しい路面が続きましたが、それにしても前走車のためにアクセルを緩めながら走っている自分がいました。

 そこで、再び土漠に出た際に、コ・ドライバーに聞きました。

 「…何だか走り辛いのですけど…。抜かしてもいいですか…?」

 暫くの沈黙の後、彼は言いました。

 「抜かせるのだったら、前を走った方がラクだから、抜かしてもいいよ。」

 その言葉を聞いて、その前方の路面状況と周囲の状況を確認の後、一気に前走車を抜かすことを決意しました。そして、“このチャンスしかない”と思った瞬間、一気に加速していきました。

 ところが、私の加速と同時に、前走車も加速していき、2台のデッドヒート状態となりました。

 暫くデッドヒートが続きましたが、何とか前走車を抜かすことに成功しました。その後、サイドミラーからその車を追っていますと、みるみるうちに小さくなっていき、次第に見えなくなっていきました。

 私が、初めて走行中の競技車両と競った瞬間でした。

 Japan Team のメンバーと

 スタートから100kmを過ぎますと、徐々にコースは砂漠へと変化していきました。それまで景色の変わらない土漠でひたすらアクセルを踏んでいたこともあり、時に眠気との戦いもありました。アクセルを踏みながらも、目を開けながら眠っている自分…。一瞬眠りに入っては、ハッと目を覚まし、目をパチクリしている自分がいました。

 あまりの眠さに、遂にナビに話しかけました。

 「何だか眠くなってきちゃうのですけど…。何か話し相手して下さいよ~。」

 それから少しずつ、ナビとの間で何を話すともなく、内容のない会話が始まりました。それと同時に、私の頭も徐々に冴えていきました。

 時に、私の運転が少しでも雑になると、間髪入れずナビの方から声が飛びました。

 「大丈夫~? まだ初日だよ~。」

 「大丈夫~? まだ始まったばかりだよ~。(もう疲れちゃったの? )」

 勿論、私は疲れてはいませんし、集中力もきれていません。常に自分の調子は一定を保っていました。しかし、これがナビのドライバーコントロールだったのかもしれません。

 いつしか路面は砂漠へと移り、それと共に更に私の士気も高まっていきました。

 途中何度目かの砂丘越えの際に、私達が前方の砂丘を越えようと向かっていると、その砂丘で他の競技車両がスタックしていることがありました。

 「あれ?スタックしているねぇ。」と、ナビの声。

 私は、その現場を遠目に見て、“うわぁっ。スタックしている…。大丈夫かなぁ…。私はスタックしないで登れるかなぁ…。”

 そんな不安もありましたが、躊躇している余裕はありませんので、“スタックしないでくれ!”の私の願いと共に、一気にアクセルを踏んでいきました。そして、そのスタックしている車両の横を、通り過ぎていきました。

 “よかった…。スタックしなかった。結構、(このプラド)イケるじゃん! ”そう思いました。

 その後も、何度か車両がスタックしている横を通り過ぎながら、砂丘越えをしていきました。その砂丘の高さは、1つ越える毎に、徐々に高くなっていきました。

 時に、前方の砂丘の高さに“うわぁっ。あの高さは無理だろうなぁ…。恐らくスタックするだろうなぁ…。”と思いながら一気に登っていきますと、自分の予想に反して、きちんとプラドは越えてくれることもありました。

 次第に、私は意外にラクに砂丘越えができてしまうプラドのポテンシャルの高さに、惚れ始めていました。“これ、結構イケるかも…”と。同時に、昨年先生に教わったことがきちんと実践できている自分も、嬉しく思いました。

 このような形で、少しプラドとの信頼関係ができ、このラリーに対する手応えを感じ始めた頃、本当のラリーの神様が姿を現し始めました。

 それは、スタートから3時間半が経過した247km地点にて、少しラリーに自信をつけた私に、現れました。

 砂丘越えを終えて緩やかな上り斜面になった時、私の予想に反して、プラドの勢いが徐々に弱まっていきました。そして、私のアクセルオンも空しく、プラドは止まってしまいました。

 ギアをバックに入れるも、プラドは一向に動きません。再び前進を試みるも、やはりプラドはビクともしません。遂にスタックです。

 “遂にやってきたか! ”

 私達はシートベルトを外して車外に下り、砂を掘ることにしました。

 スタックの現場

 スタックはラリー競技に於いては短い時間でゴールする事を考えますと、好ましい事ではありませんが、反面、少し期待していた部分もありました。何故なら砂漠でのスタックは、全身で砂漠の広さ、暑さを満喫できるからです。日本では、こういった機会は決してありません。ところが、エジプトの大地では、全身で大自然の厳しさや美しさを満喫することができます。

 私は、早速にタイヤ周囲の砂を避け始めました。しかし、プラドが埋まってしまう程の砂ですので、非常にサラサラとしていて、手でかき分けてもかき分けても、すぐに砂は元の場所に流れ落ちてしまいます。

 暫く掘った後に車内に乗り込みバックを試みますが、やはりプラドはビクともしません。そこで再度砂を掘り、タイヤの下にサンドラダーを敷き“動いてくれ! ”の私の願いと共に再びバックを試みますが、やはりプラドは一向に砂の中から動こうとしません。動かないばかりか、どんどんと砂の中に埋もれていきました。こういったことを何度か繰り返しているうちに、決意しました。

 「徹底的に掘りましょう! 」

 よくよく見ると、プラドのお腹までもが砂の中に埋もれていました。これでは、もはやタイヤ周囲の砂だけを避けても、プラドは動いてくれません。

 そこで、プラドの下に潜って車両下面の砂を掘り、スペースを作ると同時に、更にタイヤ周囲の砂を掘ってジャッキアップを行い、サンドラダーを完全に噛ませるようにしました。これは、4本のタイヤ全てに対して行いました。

 砂丘では、通常失敗をしない限り、その場はあっという間に通り過ぎてしまいます。よって、大砂丘のど真ん中でこれらを満喫出来るのも、こういったスタックをした場合のみです。

 私は、すぐにその場から脱出出来ずに長期戦を覚悟した瞬間に、色々な事を考える余裕が生まれました。

 まずはこの状況を写真に収めなければ…と思い、カバンの中からカメラを取り出し、スタックの状況をカメラに収めました。

 スタック現場 with 三菱チーム

 次に、今回エジプトでの変化に富んだ様々な種類の砂漠の砂をお土産として持ち帰りたいと思い、事前に空のペットボトルを数本、プラドの中に積んでいました。私はそのバッグの中から1本を取り出し、クリーム色の砂を入れました。これで1つ、お土産が出来ました。

 更に、それまで日射病対策も兼ねてヘルメットを被っていましたが、そのヘルメットを脱ぎ、また、反対側で作業をしているナビの目を盗んで、プラドの横で大の字になって寝てみました。

 大きな真ん丸い太陽が照りつける中、周囲を砂丘で囲まれた中で大の字になりますと、非常に気持ちが良かったです。私はほんの少しの間、全身で砂漠の広さ・暑さを満喫しました。

 暫く寝ていたい気持ちもありましたが、当時は競技中ですし、ナビに至福のひと時を見付かる前に、そそくさと脱出作業に戻りました。

 時に、ナビから心の中の叫びとも不満ともつかぬ言葉が発せられましたが、それらを避けようと応戦する自分との会話は、まるで掛け合い漫才の様でした。

 この様な会話は二言目には笑いに転じ、真剣ながらも脱出作業を行っているプラドの周囲には、常に笑いが溢れていました。

 スタックしてから何分が経過したでしょうか。随分長い時間立ち往生している様な気がしました。“誰か引っ張ってくれないかなぁ…。”そんな事も考えましたが、その間に私達の横を抜けていった車は、たったの2台でした。また、同じ場所で後続車が2台スタックし、私を含めた3台の車両が近距離において脱出作業を行う状況となりました。

 “これくらいで大丈夫でしょう”

 そんな甘えをすることなく、決して現実を軽視することなく、4本のタイヤの下に確実にサンドラダーを入れました。

 最後には“これで動かない訳ないでしょう!”の自信ともつかぬ最後の願いを込めて、運転席に座りました。そしてゆっくりと、心を込めてアクセルを踏みました。

 すると、これまでビクともしなかったプラドが後退を始めました。私はすかさずバックできる場所までバックをし、少しプラドのお尻が上がる状態で車を停めました。遂に脱出成功です。一体何分の時間が経過したでしょうか。

 オフィシャル車両のスタック

 車内の時計を見ると4時を回っており、また周囲にやや夕日が陰っているのを感じました。随分と長い時間、脱出作業をしていたことを実感しました。

 脱出後サンドラダーを片付けていると、後から来て同じ場所でスタックをしていた他チームの選手が、私の方を見ていました。私も、彼に両手を振って合図をすると、彼は遠くから聞いてきました。

 「脱出までに何分かかったの? 」

 私は、1時間半だと答えました。

 脱出の際に使用した装備品を荷室に収め、ギアを入れ直した後にナビとライン取りを確認し、その場を離れようとしました。

 “もう止まらないでくれ~! ”そんな思いを込めつつ、アクセルを踏みました。

 私の願いが通じたのでしょうか、ようやく私達はその砂丘地帯を抜け出すことができました。

 私は長い時間、同じ場所に留まっていたことで、残りの制限時間までの距離が気になっていました。

 ファラオラリーは各競技区間で制限時間が決められています。1度タイムオーバーをしますと4時間のペナルティーが課されます。タイムオーバーは2回までは許されますが、3回目は失格となってしまいます。

 よって、私はタイムオーバーにならないか、非常に気掛かりになっていました。

 「あと残り何kmですか? 」

 ナビにそう尋ねますと、残り50kmという答えでした。

 エジプトの大地

 私達がスタートした時刻からタイムオーバーまでの時間を考えますと、残り1時間しかありません。つまり、残り50kmの距離を1時間で走らなければなりません。

 私はガタガタ道を運転しながらも、頭の中で計算をしました。

 結果、砂地ではスピードが落ちてしまいますので、平均80km/hで走らなければならないと思いました。

 その時から、私の制限時間との戦いが始まりました。私は路面と時計とメーターとの睨めっこのもと、80km/hペースで走り始めました。しかし、アクセルを踏みながらも“焦ると車を壊す”という意識は働いており、“後で後悔するんじゃないよ~”と、自分を戒めているもう1人の自分がいました。

 スタックの脱出から40分程が経過した頃でしょうか、再び砂丘地帯へと入っていき、砂丘越えが続きました。ところが、ここでも再びプラドは砂丘を越えられず、上り半ばで止まってしまいました。

 私は先程の失敗を教訓に、登れないと分かった瞬間にアクセルを緩め、そのまま後退をしました。するとプラドはスタックすることなく、スイスイと後退してくれました。そこでギアを入れ替え再挑戦するも、やはりプラドは砂丘の頂点に達することなく、その少し手前で止まってしまいました。

 ナビとライン取りを確認の後、何度か色々なラインで試しましたが、やはり最後のひと踏ん張りが利かず、プラドは失速してしまいます。“やっぱり大自然相手に、自分は勝てないのか? ”そう考えもしました。結局、その場はエスケープを行い、別ルートにて切り抜けました。そこには、既に何本もの轍が出来上がっていました。

 この場でも5~6分程のロスタイムがありましたので、再び私は加速を始めました。しかし、私の頭の中では常に“焦ると車を壊す”という意識が働いており、“車を壊すと後悔するよ、全てが終わっちゃうよ”と戒めているもう1人の自分がいました。そういった思考回路の中で、「このスピードならば大丈夫」という結論に達していました。

 ところが、そんな甘い思考回路がラリーの世界で通用する訳がありません。遂に、ラリーの神様が本性を現し始めました。

 エスケープをした地点から3km進んだ場所で、それは起こりました。

 砂地の上り斜面で、その頂点が両側とも大きな岩壁により狭められ、その後緩やかに下っている路面がありました。私は上りの際にその岩にぶつからないよう、気を付けながらも加速していきました。何とか車両をぶつけずに通り過ぎた時、その先の緩やかな下り斜面で、更に道幅が急に狭くなっていました。

 この時も私は先を急ぎながらも、“焦ると車壊すよ~ ”と、遠くから自分をコントロールしていました。

 これは、これまでの国内レースでも、同様でした。

 必ずオーバースピードになりそうになると、“車壊すよ~ ”と、自分の中でコントロールをしていました。

 道幅が急に狭くなったその先では、クリーム色の砂の中から、25cm×30cmの先端が尖った岩と、その先に20cm×30cmのゴツゴツした岩が顔を出していました。

 「岩だよ、岩、岩―! 」とナビの声。

 私も、その岩はよく見えていましたが、完全なオーバースピードにて、避ける事ができませんでした。いえ、避ける事もできたとは思いますが、当時のスピードで急ハンドル・急ブレーキを掛けますと、車両が横転すると判断、よって、私はほんの少ししか、ハンドルを切りませんでした。

 結果、自分の技術ではコントロール不能となったプラドは岩の方へと吸い寄せられ、その瞬間、プラドにもの凄い衝撃が加わると同時に車の操舵性を失いました。

 「何か変だねぇ。」とナビの声。私も、何かが変だと思いました。

 私は暫く運転の後、固い路面を見つけて車を停めました。

 ナビはとっさに車を下り、左前後のタイヤ状況を確認しました。

 「タイヤ交換2ほーんっ! 」

 その言葉に吸い寄せられる様に自分も助手席側へ回り、大きな亀裂と共にリムから外れかかっている前後2本のタイヤを確認しました。

 エジプトの大地 2

 その瞬間、タイヤをサポートして下さったスポンサーさんの顔が頭に浮かび、心を痛めた事は、言うまでもありません。

 “どうしてこうも初日から色々な事が起こるのだろう…。”

 私はそう思いながら、そのまま傷ついたタイヤの前を通りつつ、リアゲートへ直行し、スペアタイヤを下ろし始めました。

 この間、数十秒の出来事であったと思います。

 私は、大失敗を犯したにも関わらず、全く悔しさも後悔もこみ上げてこない自分の心を、少し恨んだりもしました。

 “普通の女の子だったら、こういう状況になったら動揺したり、悔しくって泣くんじゃないの!? ”と。

 しかし、当時の私はその時の状況にも全く動じず、淡々と物事をこなしていました。

 結局、タイヤ2本のバースト+タイヤ交換2本で、更なるロスタイムとなってしまいました。

 今回岩にタイヤをヒットさせた際には、正に自分の“「大丈夫」 が大丈夫でなかった瞬間”でした。

 私は、これまでのほんの少しの自身の経験から、海外ラリーはその準備段階での苦労や時間的・金銭的投資量、また、現地での感動や驚き・経験、競技レベル等々…全てのスケールが国内のそれらとは異なると思っていましたが、「大丈夫」のスケールも、国内のものとは全く異なっていました。

 競技中に車を壊してしまいますと、全てが終わってしまう事は、国内でも海外でも、重々承知しているつもりでした。しかし、国内での、これまでの「大丈夫」は、海外ラリーでは、通用しませんでした。海外レベルの競技に出た瞬間に、全てのスケールが異なっていました。

 私には、国内レースよりも数百倍慎重な 「大丈夫」 が必要でした。

 タイヤ交換の後、再び現場を離れ、次のCPへと向かいました。私は持参したスペアタイヤ4本のうち、既に初日で2本を使ってしまった現実を受け入れ、これ以上の失敗が許されない現実を直視しました。

 その後は更に自分のスピード限界域を落とし、慎重に走行をしました。いつしか気付くと太陽は沈み始め、真正面から夕日が差し込むようになりました。

 ところが、真正面から夕日と対面しますと、向かうべき路面が全く見えなくなります。ラリー走行の基本として、確認ができない時には確認ができるまでその場で留まるべき、ということがあります。

 しかし、夕日が沈むまでずっとその場で留まっている訳にもいきませんので、少々怖い思いをしながらも、ゆっくりとアクセルを踏んでいきました。

 また、本当は日中の太陽が1番高い位置にある時には美しく見える渓谷下りも、ゴールへの焦りと周囲の夕暮れにより、その美しさは半分以下に減っていました。

 1時間15分のスタックに登れない砂丘との格闘、そしてタイヤ2本のバーストにタイヤ交換2本と、初日の短時間の間で、実に色々な出来事がありました。そのどれもが反省すべき内容であり、自分の失敗に起因するものでした。

 私は決して諦めていませんでしたし、スタート直後と同じ気持ちでハンドルを握っていました。

 しかし、夕暮れと同時に周囲が暗くなるのに従い、何となく車内の雰囲気も暗くなっていきました。

 その雰囲気を察してか、または私の運転が荒かったのかは定かではありませんが、突然ナビが言いました。

 「もう年なんだからー! あんまりビックリさせないでねー! 」

 私はその言葉を聞いて、思わず爆笑せずにはいられませんでした。

 しかし、ナビであり、現地でのメカニックを一任されている彼からしますと、それが彼の本音だったのだと思います。

 「スイマセン~。」

 私は笑いながらもそう答え、改めてアクセルを踏みました。

 そしてスタートから約6時間50分後、遂に初日ステージのゴール地点に着きました。

 ビバーク到着直後
 
 “やっと終わった…。”

 実に色々とあった初日でした。初日にして、殆ど全てのアクシデントを経験してしまった状況でした。

 その後、約800m離れたビバークへと向かいました。ビバークでは、既に他の日本チームのメンバーはリラックスモードに入っていました。

 1度日本チームの場所へプラドを停めた後、ビバークで小休憩をとりました。ナビはビールを飲み、私はコーラを飲みました。何故かその時のコーラの味が苦かった事は、今でも忘れません。その後も口渇感に襲われ、その度に電解質入りの水分補給を行いましたが、飲んでも飲んでも私の口渇感は治まりませんでした。

 小休憩の後すぐに、先程ぶつけた車両の状況を調べるべく、ナビはメカニックへと役職を変えて仕事を始めました。

 私も彼の側で、メカニックのサポートを行うつもりでしたが、どうにも小休憩のコーラ1本だけでは血糖が上がらず、物事に集中できない状態になっていました。そこでメカニックにお願いをして、先に夕食を摂って血糖を上げてくることにしました。

 足早に夕食を摂りプラドの元へ戻ると、殆ど整備が終わった状態で、プラドの現状を説明してくれました。

 「正直この状態で完走するのは、非常に厳しいね。明日1日もたないかもしれない。リアのホーシングがかなり曲がっているから、明日競技途中でバキッと折れてしまうかもしれない。そうするとプラドを日本に持って帰れなくなるから、それだったら明日はレイドで走った方がいいかもしれない。どうする?」

 お勉強後のタイヤ

 私は彼の言葉も現実も、非常にスンナリと受け入れることができました。

 初日終了後に、早くもリタイアの信号が点りました。しかも、かなりの高確率で、近日中のリタイアです。そんな状況にも関わらず、私には全く悔しさも後悔も生じませんでした。

 私はメカニックの説明を聞いて、翌日に砂漠のど真ん中でプラドが自走不能の状態になる姿を想像しました。私には、既に翌日のリタイアが容易に想像されました。

 リタイアか競技続行かの最終判断は私が行いますので、とりあえず私は翌日もスタートをする意向を伝え、初日の寝床につきました。

 この日は、四輪24台中6台がタイムオーバーという結果でした。
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テーマ : モータースポーツ - ジャンル : 車・バイク

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